セラピスト。 |
2012年 05月 05日 |
GW。
ソマトエモーショナルリリースというセラピーの技術を学ぶためのセミナーで
東京に来ている。
クラニオセイクラルセラピーのさらに上のレベルのクラス。4日間。
参加している方々の多くは手技療法家で、そうでないひとたちも何かしら人と接すること、
人の癒しに関わることを仕事としているプロばかりだ。
普段から人の体に触れると言うことをしていない私にはレベルが高すぎて正直ついていけていない。
じぶんのちんちくりんっぷりに撃沈。
なんでこんなことはじめちゃったかなぁ、と思う。
なにかしら人の治癒にかかわることがしたくて、そのくせ人に接するのが怖くてたまらなかった
私は「患者と接しないで済むから」という理由で臨床検査技師という仕事を選んだ。
採血した血液を機械で測定したり、顕微鏡に向かう仕事。
でも。病院で行われている医療が私のイメージする治癒とは違う、という思いは、長くあった。
身の周りの多くの人が心身の不調を持っているのに、病院の提供する対処療法では
解決できていないのをみていると、何か別のアプローチがあるんじゃないだろうか、といつも思っていた。
セラピーの技術を身につけたいと思って、アロマテラピーや、ヨガや、
アレクサンダーテクニーク(これはセラピーではないけど)や、いろんな勉強をつまみぐいした。
いまのところ、クラニオセイクラル、オステオパシーに関心は向かっている。
ゆくゆくはこれを仕事にしたいという気持ちもあるけど。
けど。
相変わらず私は人が怖いままなのだ。
セラピーの勉強の場に来る人はみな「いいひと」ばかりだ。
人を癒したいという思いに溢れている人達なのだからそれは当然。
人に寄り添うことを探求している人達の集まりを恐れる理由なんて何一つないはずなのに
実技練習で体に触れようとすると怖くて立ちすくむ。
こわごわ触れているときちんとしたコンタクトはできないし、ガチガチに緊張した手では
クライアントの情報も手に伝わらないし、なにより、治癒への手助けができない。
それでも人に触れたくて、でも怖くてたまらなくて。
途方に暮れたまま2日目が終了し、疲れた体を引きずりながら、
あるセラピーの施術を受けに行った昨日の夜。
そのセラピストに、言われたこと。
「今後セラピーに携わりたいと思っているのなら、今、クライアントの立場として
貴重な体験をしているのだということを認識しておいた方がいいと思います。
技術や知識の勉強はあとから繰り返し学ぶことが出来るけれど、
施術を受ける側の体験というのはその場限りのものだから。
練習で施術をしあってるとクライアントとしてどう感じたか、って薄れていってしまうものなんですよ。
だからいまこの時点で体で何を感じたか、に意識を向けていたらいいんじゃないでしょうか」
その言葉のおかげで、肩の力が抜け、ちょっとだけ足に地がついたように思う。
自分が学びたいものって結局、自分自身が必要としてるからなんだよな。
怖くても、やりたいんだからしょうがないんだ。
怖さがなくなるのを待っていたってなくならないのだ
怖さを抱えたまま進むことでしか怖さはなくならない。
がっちがちのまま、ちんちくりんのまま。あるがまま。
あと2日間。
味わってこようと思います。
ソマトエモーショナルリリースというセラピーの技術を学ぶためのセミナーで
東京に来ている。
クラニオセイクラルセラピーのさらに上のレベルのクラス。4日間。
参加している方々の多くは手技療法家で、そうでないひとたちも何かしら人と接すること、
人の癒しに関わることを仕事としているプロばかりだ。
普段から人の体に触れると言うことをしていない私にはレベルが高すぎて正直ついていけていない。
じぶんのちんちくりんっぷりに撃沈。
なんでこんなことはじめちゃったかなぁ、と思う。
なにかしら人の治癒にかかわることがしたくて、そのくせ人に接するのが怖くてたまらなかった
私は「患者と接しないで済むから」という理由で臨床検査技師という仕事を選んだ。
採血した血液を機械で測定したり、顕微鏡に向かう仕事。
でも。病院で行われている医療が私のイメージする治癒とは違う、という思いは、長くあった。
身の周りの多くの人が心身の不調を持っているのに、病院の提供する対処療法では
解決できていないのをみていると、何か別のアプローチがあるんじゃないだろうか、といつも思っていた。
セラピーの技術を身につけたいと思って、アロマテラピーや、ヨガや、
アレクサンダーテクニーク(これはセラピーではないけど)や、いろんな勉強をつまみぐいした。
いまのところ、クラニオセイクラル、オステオパシーに関心は向かっている。
ゆくゆくはこれを仕事にしたいという気持ちもあるけど。
けど。
相変わらず私は人が怖いままなのだ。
セラピーの勉強の場に来る人はみな「いいひと」ばかりだ。
人を癒したいという思いに溢れている人達なのだからそれは当然。
人に寄り添うことを探求している人達の集まりを恐れる理由なんて何一つないはずなのに
実技練習で体に触れようとすると怖くて立ちすくむ。
こわごわ触れているときちんとしたコンタクトはできないし、ガチガチに緊張した手では
クライアントの情報も手に伝わらないし、なにより、治癒への手助けができない。
それでも人に触れたくて、でも怖くてたまらなくて。
途方に暮れたまま2日目が終了し、疲れた体を引きずりながら、
あるセラピーの施術を受けに行った昨日の夜。
そのセラピストに、言われたこと。
「今後セラピーに携わりたいと思っているのなら、今、クライアントの立場として
貴重な体験をしているのだということを認識しておいた方がいいと思います。
技術や知識の勉強はあとから繰り返し学ぶことが出来るけれど、
施術を受ける側の体験というのはその場限りのものだから。
練習で施術をしあってるとクライアントとしてどう感じたか、って薄れていってしまうものなんですよ。
だからいまこの時点で体で何を感じたか、に意識を向けていたらいいんじゃないでしょうか」
その言葉のおかげで、肩の力が抜け、ちょっとだけ足に地がついたように思う。
自分が学びたいものって結局、自分自身が必要としてるからなんだよな。
怖くても、やりたいんだからしょうがないんだ。
怖さがなくなるのを待っていたってなくならないのだ
怖さを抱えたまま進むことでしか怖さはなくならない。
がっちがちのまま、ちんちくりんのまま。あるがまま。
あと2日間。
味わってこようと思います。
# by b6yuze | 2012-05-05 07:12 | diary | Comments(0)

